Abstract: Nakamura Sumiko (2009)

55枚の小さな浮世絵
国立劇場所蔵(役者見立絵)三代歌川豊国画『東海道五十三次』

国立劇場所蔵の錦絵の中に、『五十三次』という題箋の付いた小さな画帖がある。 この画帖の中味は、三代歌川豊国の『役者見立東海道五十三次』であり、大判に倣って、日本橋から京までの55駅についての美しい役者絵と目録である。中判の和紙一枚に人物が向き合うように、二駅二人ずつ描かれ、そこに豊国の落款・彫師・版元・改印が記されている。 その和紙を二つ折りにし、順に貼り合わせた折本型の画帖である。正編ともいえる大判の『役者見立東海道五十三次』が嘉永5年6月に終了した後、同年の9月から12月にかけて作成され、翌年9月に最後の「京」と「目録」が作られた。 この画帖の重要なところは、今のところ、この一冊しか確認できないことである。 大判とは違う趣があり、貴重な作品といえよう。

Abstract: Nakamura Sumiko (2006)

シルクロードを往来したソグド人-歴史から文学へ

昨年、新聞に「中国でソグド人の古墓が発見された」という記事が掲載された。このことは、シルクロードを往来していたソグド人達が遥か中国の果てまで来て暮らしていたことを示すものだった。当然、古代から遣隋使・遣唐使たちが行き来していた中国と日本の関係であるから、商人であるソグド人たちが来日していないわけはない。しかも渤海使として日本を訪れた人々の中にも、ソグドの名前を持つものが多く存在したことは史料からも明らかである。 彼らがもたらした品物や書物や文化は、当時の貴族や知識人たちの憧れの的だった。そして異国人との出会いは更に興味深かったに違いない。これらの出来事がその後の日本文学へ多大な影響を与えたことは、『竹取物語』『宇津保物語』『源氏物語』を見ればよくわかる。4年前、私は、紫式部は武生での経験を基に『源氏物語』の末摘花の姿を創り上げたのではないかということを述べた。今回はさらに「髭黒大将」の姿を捉え、その外見や行動などに異国人であるソグド人の面影を見出したい。


Abstract: Kamichi Kōichi ; Machi Senjurō (2006)

The Kanbun Database at Nishogakusha University

I would like to introduce the database for Japanese Kambun (Chinese Classic) Studies as a part of the 21st COE program entitled “Establishment of Global COE for Japanese Kambun Studies” at Nishogakusha University.

Research concerning Japanese Kambun has up until now been spread out over different fields such as theology, history and literature. It is therefore necessary to create a reference system for Japanese Kambun as a whole.

Abstract: Egami Toshinori (2006)

Study Sessions on Kuzushiji 「くずし字を読む会」 by Kyoto University Librarians

This presentation reports on 「くずし字を読む会」(Kuzushi-ji wo yomu kai / the study session on くずし字*1 reading) which is held privately among the librarians of Kyoto University.
This session started in September 2003 and has been held about 50 times ever. It is intended to help the members get reading skill of くずし字, mainly 変体仮名(Hentaigana *2), on early Japanese materials. Once or twice a month, some of the librarians join to the session for learning how to read くずし字 and how to use reference resources.

Abstract: Nishino Haruo (2006)

能面 『雪鬼』考

発表者が〈雪鬼〉と思われる能面に出会ったのは、1997年2月、フィレンツェにあるシットベルト美術館での能面調査の時であった。それは、山に棲む鬼女山姥を主人公として、山姥の山廻りのさまを描く能《山姥》の、後シテのみに用いる特殊な面〈山姥〉とほぼ同じ形だが、眉が違うのである。ヤマアラシのような突き立った眉の〈山姥〉に対し、その面は小面(こおもて)や増女(ぞうおんな)などのような常の女面と同じく、高い黛が描かれていた。
その4年前の1993年、国立能楽堂第4回研究公演で、雪鬼の女(雪の精)をシテとする廃絶曲《雪鬼》を復曲上演した際、発表者は能本を作成し、この時は、清浄たる美しさを表現すべく、気品のある〈増女〉を用いたが、この面こそ室町中期の演出資料『舞芸六輪之次第』に「山姥のごとし」とある〈雪鬼〉の面につながるのではないかと直感し、日本では失われたと思われる能面がイタリアにあったことに驚いたのであった。

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